嘉祥

二十四節気では「芒種」の頃──、
ひと雨ごとに紫陽花は鮮やかさを増し、梅の実が黄色く熟し始めます。

芒種とは、芒(のぎ)をもつ麦や稲などの種を蒔く時季のこと。
田植えとも重なるため、農家は繁忙期を迎えます。

旧暦六月十六日は、嘉祥(かじょう)の日。
菓子や餅を神前に供えて食し、
厄祓いをして招福を祈る慣わしがあります。

嘉祥の起源は古く、平安時代にまで遡ります。
西暦八四八年、仁明天皇は国内に疫病が蔓延していたことから、
元号を“めでたいしるし”という意味の「嘉祥」に改めました。
そして同年の六月十六日、十六の数にちなんだ菓子や餅を
神前に供えて健康招福を祈願したところ
疫病が立ちどころに収まったと言われ、
宮中行事として「嘉祥の儀」が執り行われるようになったそうです。

江戸時代には五節句と並ぶ重要な行事となり、
この日幕府では、将軍が家臣を集めて盛大に菓子を振る舞う
「嘉祥頂戴(かじょうちょうだい)」と称する儀式が行われました。
江戸城の大広間には、饅頭、羊羹、金飩(きんとん)など
約二万個の菓子が青杉の葉を敷いた片木盆に盛られ、
登城した大名や旗本たちは、順番に進み出て一膳ずつ頂戴したそうです。
庶民の間では、銭十六文で十六個の菓子を買って食す
「嘉祥喰(かじょうぐい)」と呼ばれる風習が定着しました。
旧暦六月は暑さの盛りでもあるため、
普段はなかなか口にできない甘いもので英気を養い、
暑気払いをする意味合いもあったそうです。

今では、六月十六日は「和菓子の日」に定められ、
十六の一と六を足した七種の菓子「七嘉祥」を食して
厄祓いをするようになりました。
さまざまな菓子を愉しみながら一年の無病息災を祈り、
福を招き入れる、特別な嘉祥の祝いを。